「真珠の涙」


砂浜の波うちぎわに肩を並べて座る2つの黒いシルエット。
それをそばで優しく見守る「風」と「波」と「月」。
「愛してる」というささきが聞こえてきた時、彼女の頬からは涙がほろり
と流れ落ちていきました。
それは形容のしようがないほど、誰もが疑いようのないほど清く純粋で
美しい涙でした。

それを見た風がその美しい涙を彼女の頬からさっとさらいます。
なぜなら頼まれていたからです。「愛の妖精」に。
最も美しい涙を集めて運んできてくださいと・・・
風がその涙が乾かないうちに愛の妖精を探します。波のウワサを便りにしてようやく見つけた彼女の手のひらに、風はそっとその「涙のしずく」を乗せました。

愛の妖精はささやきます。これを大切にしまっておいてくださいと。海の底の貝たちを呼び出して。
しかしみんな首を横に振ります。そんな大変なことは誰も引き受けたがりません。
なぜなら引き受けたが最後、いつ口を開けることができるかわからないことを誰もが知っていたからです。

そんな中で愛の妖精の願いを快く受け入れた貝がいました。
普段は口をパクパク開けてばかりいるおしゃべりでお調子者の貝でした。

愛の妖精は貝の開けた口の中にその「涙のしずく」を入れました。
貝はゆっくりと口を閉じました。
愛の妖精が去った後、それっきり何日も、いえ、何年も貝は口を固く閉じたままでした。

波や魚たちが時々好奇心で「見せて」と頼んでも、話しかけても、からかっても、貝は黙って口を閉じているばかりです。
今までのように明るく冗談を言ってみせたりはしませんでした。
そのうちにその貝に声をかける者は誰もいなくなってしまいました。



だけど貝は寂しくありません。だって知っているからです。
その愛の妖精から預かった物が何かということを・・・
その意味を・・・

どのくらいそうしていたかわかりません。
ある月の美しい夜、愛の妖精が海の底の貝の前に現れました。
彼女はささやきます。
長い間、ありがとう・・・ そろそろ見せてくださいますか?と。
七色した泡が小さくゆらめき上がっていきました。
すると、ようやく貝は固く閉ざしていた口を開いたのでした。
ゆっくり ゆっくり スローモーションのように・・・
まるで魔法が溶けていくかのように・・・

夜空の月が海の底まで光を照らし見守っています。
それは愛のヴィーナスが誕生したかのようなまばゆい瞬間でした。

預かった時、透明だった「涙のしずく」が形を変え、中に輝く雪のような白い真珠がそこにありました。
貝はとても嬉しそうでした。
愛の妖精は貝の頭を優しくなでました。
そしてその「涙のしずく」から出来た「涙の真珠」をそっととりだします。
貝はいつまでもニコニコと微笑んでいます。
愛の妖精は貝に「お礼にあなたのお願いを1つ叶えてあげましょう・・・」と言いました。
すると貝は言います。
「私と朝までお話をしてください。私はずっと一人ぼっちで、誰とも何年も話をしていなかったのです。」
愛の妖精は頷き、海の底の砂の上に座りました。
彼女は陸の上の話をし、貝は貝で海の底から見ていた毎日の出来事を話したりしました。いくらでも話すことはありました。
海中に差し込んでいた光は、いつのまにやら月の薄明かりから太陽の明るい陽射しに交代していました。
愛の妖精が名残惜しく貝と別れを告げて、海面に上がっていきます。
下を振り向くと、貝は寂しそうに口をまた閉ざし、ぽつんとしていました。
           
愛の妖精は今度はあの時の風を呼んで頼みました。
あの時の彼女のもとへこの「涙の真珠」を運んでくださいと。
風は彼女がどこにいるのかわかりません。
そこで風は月に尋ねます。あの時の彼女は今どこにいますか?と。
風は知っていたのです。あの夜、心配した月が2人の後を追って行ったことを。
そして毎晩、彼女をそっと見守っていた事を。
月に導かれ風は後からそよいでついていきます。
そして彼女の家の前まで来ると、ここだよと月は窓から光を差し込みました。
薄明かりの部屋の中で、銀色の椅子に座ったあの時の彼女の姿が見えます。
そばに彼女の肩に軽く手を回している彼の姿も見えます。
彼らもちょうど、開いた窓から夜空の月や星たちを見上げていたのでした。
風はすーっと彼女のそばに近寄ると、「涙の真珠」を彼女の頬にそっと乗せました。

そのとたんです。一瞬キラッと閃光が走ったかのように見えました。
すると白い「涙の真珠」は、またもとの美しい「透明な涙」に変わっていました。
月の柔らかな光の中で、彼女の頬をつたう涙。
それは真珠の輝きに匹敵する程美しいものでした。
彼女の頬をつたう涙に気づいた彼は不思議そうに聞きます。
「どうしたんだい?」
「自分でもよくわからないんだけど・・・たぶん、こうしていると
 とっても幸せで・・・いつまでもこうしていたいな〜って思って・・・」
そう答えた彼女は、彼の手をぎゅっと強く握りしめました。
先ほどまで弱弱しかった彼女の手のどこにこんな力があったのかと彼は驚きました。
彼女は医者からも見離された病にかかっていたのです。
そう長くはないことも2人は知っていたのでした。
砂浜で「愛してる・・・」の彼のささやきに、彼女が流したあの夜さえも・・・

そう、あの夜・・・
砂浜に肩を並べて座る2つの黒いシルエット。
1つは銀色の車椅子に座る彼女のもの。
1つは彼女の高さに合わせて砂を盛り上げて座る彼のもの。
波打ちぎわまで続く黒く長い車輪の跡。
それは2人の愛の軌跡。

「君と一緒にいる時間は、他の人といる時間の10倍に感じるよ。
僕にとってはね。感じるんじゃなくて、きっと実際そうなんだよね。
1分は10分だろ?1時間は10時間で、10時間は100時間、一年で・・・」
彼は大きく笑ってみせました。
「幸せいっぱいなんだから・・・だから、いいんだよ・・・」
いいんだよ・・・
いいんだよ・・・

何度もその言葉が波にこだまします。

こんな光景を月はずっと心配そうに見ていたのです。
無事、彼が彼女を家に送り届けるまで。

車椅子をゆっくりと押す彼。
安心して身をまかせている彼女。
あらたに伸びる砂浜の黒く長い車輪の跡・・・
その2人の愛の軌跡の後をたどる月・・・

その後、2人はすぐに結婚しました。
1分を10分に、1年を10年に感じるほどに、2人は毎日の幸せをかみしめるようにして暮らしていきました。
今にも消えてしまいそうな片方の命をいたわりながら。
そして、「今夜」、まさに奇跡が起きたのです!
 風が先ほど運んできた「涙の真珠」の不思議な力によって・・・・
 「愛の妖精」や「貝」や「風」や「月」の力によって・・・

 彼は呆然と立ちすくんでしまいました。
 先ほどまで車椅子の中でうずくまるように弱よわしく座って
 いた彼女が、ピンクのバラのような血色をしているからです。
 そして、なおも力強く立ち上がって彼の肩につかまってきたからです。
 おお、神よ!!!
 彼は大きな賞賛の声を上げると彼女を強く抱きしめました。

 世の中に「奇跡」って本当にあるのです。
 それがどうして起こるのかは誰もが気がつかないだけで・・・


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メールマガジン「愛の砂時計」104〜107号掲載 白鳥鈴奈作