「未来交換所」

                      白鳥鈴奈

             
 男は時計をちらりと見た。20時57分。行って見るか!
机の上の書類を片付けると男は会社を出た。蛾が灯りにむかって飛んでいくように、新宿の街をどこか目指してふらふらと歩いていく。
コンクリートのはがれた古びたビルの前で男は立ち止まる。看板を見上げ確認するとビルの中に入っていった。 階段で3階まで上がっていく。
ひっそりとその店はあった。ためらいながら男は中に入る。サラリーマンやOLが無言で食事をしている。
 テーブルに案内され、男はビールと食事と "れいのもの" を注文する。食事の皿もジョッキも空になり一服していると自分の番号が呼ばれる。
 男は他のテーブルを通り過ぎ、店の奥へ歩いていく。別室へのドアを開け中に入る。レース越しに水晶を手にした妖しげな女が黙ってこちらを見ている。
 この間の女だ!
 「ここは初めてですか?」目を細め女は小さく口を開いた。
 「いえ、2回目です。前回の占いが当たったのでまたやって来ました。明日、宝くじを買うと当るというお告げをいただきました。その通りにしたら本当に1000万円が当りました。あの時は助かりました。ありがとうございます。」
 男が答えると女は唇の両端を少し持ち上げた。
 「そうですか。それは良かったですね。」
 言葉とは裏腹に感情のない淡々と声が床に響いた。
   
 ここに男が初めてきたのは、ほんの1月ほど前のことである。会社の接待での帰りであった。それほど酔ってはいないはずなのに、駅へ向かう道からどんどんはずれていく。
暗闇に光る「未来交換所」の看板の文字が男の目にふと止まった。変わった店の名前に好奇心が沸いた。吸い寄せられるかのように私はそのビルの階段を上がった。
 ドア越しに覗くと3人の男と2人の女性が食事をしている。
「なーんだ、ただの喫茶店じゃないか。それもこんなさびれた所で。」
男は中に入らずに店から出ようとした。
  
「何かお悩み事でも?」
入り口付近に立っていた年老いた店員がふいに声をかけてきた。
「どうしてですか?」
「いえ、そういう方が、こちらに迷い込まれてくることが多いものですから。そうでないのでしたら失礼致しました。」
 男は心の中でぶつぶつとつぶやいた。
 悩み事・・・ないわけではない。悩みでいっぱいでどうにかなりそうだ。自分と顧客の名前で株をたくさん買ってしまった。会社での営業成績を上げるためだ。必ず上がると見込んで買った株が急下落してしまおうとは。今月いっぱいに穴埋めをしないと。クビになってしまうだろう。私には高校生の娘と私立中学に通う息子がいる。買ったばかりの家のローンが残っている。家も手放すことになるだろう。家族が路頭に迷い、明日の生活がどうなるかさえわからない。ああ、なんということだ!
 男は必死に毎日、家族にも会社にも普段と変わりない風に装いながらも、内心は必死にもがいていたのである。
  
「あの、ここは喫茶店ですよね?」
「はいそうです。それと占いも営業しております。」
 店員は男の顔を直視し真顔で尋ねた。
「占いにご興味はありますか?」
「いえ、全く・・・」
 男は口ごもってそう答えた。
 
 占いなんて非現実的だ。いい加減だ。あんなものに騙されるものか。そうは思うものの、男はこの妖しげな店の雰囲気にすっかり飲み込まれていた。ここに来たのも何かに導かれてきたのかもしれないと思えてきた。
 男は占ってもらうことにした。それが1月前のことである。そして占いのお告げ通りに宝くじを買うと、一億円が当ったのだ。穴埋めをして会社をクビにならなくてすんだのである。それで、また何か良い事を占ってもらおうと、再びやって来たのであった。
  
「それでは、いつを占いますか?」占い師は尋ねる。
「明日をお願いします。」
 男がそう答えると占い師は水晶にじっと目を凝らして言った。
「見えます。明日。あなたが乗った電車が事故にあいます。長い時間止まっています。落胆しているあなたの姿が見えます。あなたが電車の中で必死に携帯をかけています。」
  男はため息をついた。
 前回同様、またいいお告げを期待してやってきたというのに・・・
 占い師のお告げの意味するものが、男にはそれだけで十分すぎるほどわかってていた。明日は今までにない大手のお得意様から株を購入してもらえそうなのである。何度も足を運び説明し、やっと乗り気になってくれたのであった。これからの取引のためにもどうしても成功させないといけない。社運さえかかっていた。そのお得意様は縁起をかつぐタイプで、電車が遅れたといういい訳も通じない。それに時間に遅れるような人間を管理能力不足とビジネスでは相手にしなくなるのも知っている。
 落胆している男を見て占い師は言葉をかけた。
「どうしますか?交換しますか?交換料は追加で1万円になりますが。」
「交換って?何をですか?」男は尋ねた。
「あなたの明日を他の人が捨てていった日と交換するのです。ただ、それがいつの日と交換されるのかはわかりません。また、その誰が捨てた日と交換されるかもわからないのです。」
 男は心の中で思った。
 そうか!店の名前が未来交換所というのは、こういうことだったのか。誰かの未来に起こるはずだった日と交換するんだな。交換した日が、いつどんな風にやってくるかはわからないというわけなんだな。だが、実際、そんなことがあるんだろうか。いくら前回の占いが当たったからといって。
 半信半疑ながらもとりあえず男は聞いてみた。
 「もし明日、電車に遅れて間に合わないのなら、電車でなくタクシーで行けばいいのではないでしょうか?」
  女占い師はクビを横にふった。
 「タクシーで行ったとしても、タクシーが渋滞にあうか事故にあうだけです。結果は一緒なのです。 あなたがどんな方法を選んでも、あなたの明日の最終事象は変わらないのです。つまり、遅れるのです」
 男は眉を寄せしばらく黙り込んだあと、恐る恐る聞いてみた。
「で、他の人が捨てていった未来と交換した場合は、どんなことがおこるんですか?」
「さあ、それは先ほども申しました通り私にはわかりません。そうですねえ。覚えているのは・・・。 
 好きな彼氏とスキーに行くのを楽しみにしていた若い女性。前日に転んで足をくじくことになっていました。スキーに行けないのは困るということでした。受験生がいました。試験で失敗することになっていました。交換して無事入学できたと後で報告にやってきました。それと若い男性。好きな彼女に告白してプロポーズを断られることになっていました。交換して、彼女と結婚したと後で聞きました。ホステスもいました。シャネルの洋服をケチャップで汚すことになっていました。高い洋服なのでそれだけは困ると交換を希望しました。
 まあ、私からみたらどれも些細なことでした。無理に交換などしないで、そのままの未来を受け入れた方がいいようなケースが多かったように思いますが。」
 話を聞いて男は少し安心した。 
「大学入試もプロポーズも。もう私には関係ないですよね?」
「ええそうです。可能性のあるものしか、他人と未来は交換されません。」
 そして思い出したように占い師は続けた。
「そういえば、病気や事故で死ぬことになっていた人もいました。」
「え?」思わず男は絶句した。
「その人の分は既に誰かと交換されたのでしょうか?」
「そこまでははわかりません。」
 男の動揺がおさまるのを見てから占い師は続けた。
「それと前回も言いましたが、守っていただきたいことがあります。
 ここでの占いのことは、決して人には言わないようにしてください。人に話した時点で消えてしまうのです。それと、ほんの稀にですが手違いもあることも、あらかじめご了承ください。」
  
 男は内心思った。若い女性ならともかくも、いい歳をした男が占いをして、それも信じているなんて恥ずかしくて言えるわけがない。一生言わないだろう。手違いというのも当らない場合の予防線とうわけだろう。当るもはっけ、当らぬもはっけ・・・誰が捨てていった嫌な未来と交換されるとしても、リストラになるよりはマシだ!
 男は決断した。
「未来の交換をお願いします!」
そして占い師は水晶に何やら呪文のようなものをしばらくつぶやいていた。
   
 その後、なにもかもが上手くいった。電車が遅れることもなく、取引先に大量に株を購入してもらえた。車内でも能力が評価されみるみる出世していった。そうして15年の月日が流れた。私はあれから足もくじいた。ケチャップで洋服も汚した。どれが私のあの日と交換になったのだろう?もう交換されたのだろうか?それともまだなのか?病気や事故に合うのだったらどうしよう。まあ、それならそうでも構わない。もう十分なほど幸せだった。家庭は穏やかで幸せな空気に満ちている。自分の仕事も順調。妻も趣味や友人と何やら楽しそうである。娘も嫁いだし、盆・暮れ・夏休みとなんだかんだと孫を連れて遊びにきてくれる。息子はまだ独身だが商社マンとしてバリバリに働いている。家のローンもなんとかなるし、蓄えもある。今私にイザなにかあっても、生活に困ることはないだろう。
  
 そんなある夜。男が仕事で遅く家に帰ると、息子がソファーでウィスキーをがぶ飲みしていた。顔も青冷めている。そんな息子を見るのは初めてであった。男は息子に尋ねた。
「いったいどうしたんだ?会社で何かあったのか?」
 息子は自分を責めているかのように悲しそうに言った。
「私がいけないんだ。悪いのは私なんだ。もっと早く出ていれば・・・」
「早くでていれば・・・?」
 男はオウム返しに聞き返した。
「今日、会社の重要な商談があって・・・重要ったって、それはもうこの先の会社生活でもこんな重要な商談はないくらいの重要なね!それなのに、先方の会社に向かう途中に電車が事故にあって・・・ずっとずっと電車が動かなくなって・・・遅れてしまって。」
 息子は悔しそうにテーブルに握りこぶしをたたきつけた。
「電話はしなかったのか?携帯は持っているだろう?」
「先方からも同じ言を言われたよ。だけど、かけてもどうしても通じないんだ!他に携帯をもっている人を探して電話してみたよ。必死にかけたけよ。10人以上貸してもらったよ。でも通じないんだ!通じないんだよ!まるで通じないように誰かが呪いをかけたか、宿命かのようにね。」
 私は遠い記憶を手繰り寄せていた。どこかで聞いたような話である。
 眉がぴくりともち上がった。まさか?そんな・・・ 私が捨ててきたあの日が、息子の今日と「交換」になったというのか?ケチャップで服を汚したのでもなく、転んで足をくじいたのでもなく、いずれ病気で死ぬのでもなく・・・私の捨てた過去が交換したものは・・・ ああ、なんてことだ! 私はなんてことを!
 おそるおそる息子に聞いてみた。
「お前、今までに占いをしたことがあるか?」
 息子もあの占いをやったのかもしれないと思ったのだ。私が他の誰の捨てた日と交換になったかはわかない。ただ、私の捨てた日を息子が引き受けたのは間違いない。交換になったのか、これが占い師の言っていた手違いなのかは、虚ろな目をした今の息子には聞きだすことはできない。
 息子は唇をかみ、「私がいけないんだ!」と再び夢遊病者のように繰り返している。
 男は肩をふるわせ、「お前が悪いんじゃない」と強く息子を抱き寄せた。
 目には苦悶に満ちた涙がにじみ溢れていた。 (終)

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