「二十年前のあの人」

                      白鳥鈴奈

             
 僕は卒業してから20年ぶりの高校時代の同窓会にきていた。
まだ早かったので、会場にはまだ数人しか来ていない。
僕は当時から一人気になる女性がいた。
彼女が現れるかどうかもわからない。
しかし彼女が今どうなっているのか気になってしかたがない。
好きとかそういう感情のものではなく、とにかく気になるのである。

「おい、あれ?ゆかりさんじゃない?」
隣にいた悪友の正一は言った。
遠くから女性3人が横一列に並んで話しながら歩いてくる。
まさか?20年ぶりだというのに、わかるはずはない。
いくら当時、正一が彼女を好きだったからって。

彼女達が近づいてくるにつれ、僕の胸が高鳴ってくる。これはいったい何なんだ?
そしてそれは正一の言う通りだった。あのおっとりとした雰囲気。
まず間違いない。彼女である!
中央にいる彼女だけ他の人と比べてひときわ輝いている。
高級そうな服とアクセサリーを身につけていた。
結婚指輪までもぴかぴかに光っていた。

 僕たちの前に来ると、ゆかりさんと目が合った。
すかさず「ユー君?」と僕に声をかける。
「相変わらずね」と笑いなが「貸して・・・」と言ってそっと手を伸ばし僕のメガネをはずした。
そして彼女のハンカチで、僕のくもったメガネを拭きだしたのである。
あまりにも自然すぎる!20年の歳月が経ったというのに・・・
「ゆかりさんは、よく気がつくなあ。昔とちっとも変わっていないなあ」と正一は妙に感心していた。
正一は知らないんだ!それだけじゃないんだ!僕は心の中でつぶやいた。

・・・・・

 あれは野球部の朝連で早く学校に行った時である。
朝早いので校内はまだしーんと静まりかえっていた。
僕は教室に必要なものをとりに入った。
誰もいないだろうと思っていたのに、三つ編みをした彼女がいた。
それもみんなの机を熱心に雑巾で拭いていた。

 「おはよう。早いんだね。えらいね」と僕はゆかりさんに声をかけた。
彼女はびっくりして、ビクンと手の動きが止まった。
振りむいて僕に気がつくと「おはよう。でもえらくなんてないのよ」と言った。
そして再びみんなの机を雑巾で拭きはじめた。
机を拭き終わると、今度は窓ガラスを拭き始めたのである。
 「放課後の掃除でみんなでやるから、一人で朝からやらなくたっていいんじゃない?大変でしょう?」
そう僕が言うと、
「窓が曇って、外がよく見えないから・・・」と、ゆかりさんは言った。
もともと口数の少ない女性だったし、これから朝連なので僕は教室を後にした。
それからも、ちょいちょいそんな彼女を見かけた。
彼女が朝も放課後も掃除をしているのは先生方も同級生の間でも有名だった。
彼女の評判は先生や他の生徒の間でも良かった。

 その後、彼女はOLになり会社の部長の息子と結婚したと風のたよりに聞いていた。
俗にいう玉の輿だったらしい。
たぶん会社でも朝早くに出勤し、他の人の机を熱心に拭いたりしていたのだろう。
彼女は気立てがよいと思われたに違いない。
だけど、本当は違うんだ!
そういう類のものではないんだ!

・・・・・

 あれは学園祭の準備をしていた時である。
たまたま道具係りで手のあいていた僕と彼女の二人は街に必要な物を買いに行くことになった。
店に行くまで彼女と何を話したのだろう。
あまり彼女は自分からは話さないから、僕が一生懸命になにか彼女に話しかけていたように思う。
 商店街を歩いている時である。
彼女はあるショーウィンドウの前で急に立ち止まった。
ガラスの中にはモダンなワンピースを着たマネキンが立っていた。
 「きれいだわあ」と言って、彼女はぼんやりと眺めている。
あんな綺麗な洋服を着てみたいと考えてるんだな。女性らしいなあと思って僕は彼女を見ていた。
すると、急に何を思ったのか彼女はハンカチをカバンから取り出してた。
そしてショーウインドウのガラスをキュッキュッと拭きだしたのである。
いつまでも、いつまでも拭いている。
 僕はあっけにとられた。
 「どうしたの?」と彼女の背中に声をかけた。
僕の声に彼女ははっと我に返ったようだった。
慌ててハンカチをカバンにしまうと、恥ずかしそうに顔をうつむかせた。
 「このことは黙っていて・・・」と彼女は懇願するような声で言った。
 「何を?」
 「ゆう君にだけ話すけど。」
 「僕にだけ・・・」
そう言われると、なんだかうれしくなった。
 「実は私、病気なの。」
 「君が病気?」
彼女は小さく頷いた。
 「汚れているものを見ると、きれいにしたくなる病気。」
 「それ、癖と違うの?」
彼女は拳にぎゅっと力をこめているようだった。
 「癖ではないわ。いつもはこの衝動をぐっと押さえているんだけど。時に自分を忘れてしまうの」
僕は突然の彼女の理解に苦しむ意外な行動と告白に面食らった。
 「さっきもね、最初はきれいな洋服だなあって見ていたの。
そのうち、もっとよく見たいと思ったら、ガラスが曇っていたの。
それで周りの事を忘れて磨いてしまって・・・ こんな場所で。」
彼女はずっと恥ずかしそうにうつむいている。
 「じゃあ、朝、机や窓を拭いたりてるのも?僕のメガネを時に拭いてくれるのも?」
彼女はコクンと頷いた。
「きれいにしたくなってしまうの。このくらいなら誰も奇妙に思わないでしょう?
絶対内緒にしていてね。約束よ!」
何度も僕に確認すると、それ以上はこのことに関して彼女は何も口にしなかった。
そしてその後も、毎朝・放課後と熱心に掃除をしている彼女の姿があった。

・・・・・

そんな20年前に彼女と共有した秘密を僕は思い出していた。
隣にいたゆう子が
「ねえ、ゆかり。結婚して今、すごく幸せなんだって?」
うらやましそうに言った。
「うん、それがね。」
彼女はためらいながらも意味ありげにこう言った。
「今、夫婦の危機なの」
意外な反応にその場はどよめいた。
「えっ?幸せに暮らしているって聞いていたわ。ねえ、どうして???」
こういうたぐいの話は女性は好きである。急に話が盛り上がりだす。
正一まで目を輝かせ体を乗り出して聞いている。
彼女は言おうかどうしようかためらいながら、明るく言ったのである。
もう、20年という歳月の間に、僕と交わした彼女の秘密は、重要なものではなくなっていたようである。
「それがね、私が綺麗好き過ぎるのが嫌だって夫が言うの。」
「えー!なんで~?」「綺麗好きなのはいいことじゃない?」
「私なんて掃除が嫌いだから、しょっしゅうなんとかしろって旦那に言われてるよ!」
みんなの好奇な詮索に彼女は笑顔で話を合わせていた。

 僕は想像した。 彼女の綺麗好きも度をきっと越しているに違いない。
最初は家の中がきれいになり、彼女の夫も喜んだと思う。
なんてうちの女房は働きもので綺麗好きなんだろうって。
しかし主婦という立場になった彼女は、家事という名のもとに「綺麗好き病」に拍車がかかったにちがいない。
会社から帰る旦那を待ち構えて、旦那の持ち物まで毎日きれいに磨いていたのではないだろうか?
靴、眼鏡、ネクタイピン、背広のボタン、ボールペン、カバン、結婚指輪まで・・・
そこまでされたら、たいていの男は窮屈に感じるだろう。
目の前にいる彼女の指輪もイヤリングも靴もボタンもカバンも、得意そうにピカピカに光っている。
私が光らせましたって。

 ゆかりさんとふっと目が合った。
「まだ覚えてる?20年前のあのこと?」
そう言って笑いかけているように僕には思えた。(終)
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